経歴
おばあちゃん子の少年時代
福島県福島市で生まれ、両親、2つ上の兄、祖母の5人家族。小学校4年生くらいまでは、学校からまっすぐ帰り祖母と一緒にドラマの再放送、相撲を見るのが日課。特に夏休みなどは一日中一緒にいました。今振り返ると、当時祖母が「私はマッサージが得意なんだ。」と言って、よく子供ながらに肩を揉んでもらったり、逆に揉まされたりしていました。この頃の経験が整体師を仕事にするルーツだったのかもしれません。
サッカーを始めた学生時代
小学校5年生から担任の先生が監督をしているサッカー少年団に入りました。それから中学3年間もサッカー部に所属し、サッカーの戦術・技術というよりも、ひたすら走らされたり、練習中に水を飲めなかったり、忍耐力は鍛えられた気がします。
そして中学3年の時に厳しい練習の影響か急に腰と太ももの裏が痛み出し、病院で「腰椎椎間板ヘルニア」と診断され、最後の大会には出れませんでした。これまで大きい怪我や病気などしてこなかったので、身体の不調が本当に辛いことを思い知らされました。
その後は激しい運動を避け高校時代は帰宅部となり無事に復調。
迷走のサラリーマン時代
大学時代にやりたいことも見つからないまま就職活動。就職氷河期だったこともあり、やっと内定がもらえた会社に滑り込みました。販売の仕事で人間関係も良く慣れてきた3年目に、会社の経営状態が悪化しているのを感じ急に将来が不安になり退職を決意しました。
今度は安定しているであろう規模の大きい会社を選び転職。しかし、入社してみると昔ながらの体育会系の社風が判明し、お酒の飲めない私はイヤイヤ上司との飲み会に付き合う日々を過ごすこととなりました。また営業職ということもあり1日中車で外回りをし、戻ってからデスクワーク、そして飲み会。この頃から腰痛で悩まされるようになりました。
治療家を目指す
20代後半となり、いわゆる週明け月曜日が憂鬱で会社に行きたくない。体の調子も良くない。はて?このままでいいのか?自分は会社員には向いてないんだと思うようになりました。
この頃から何か手に職をつけたいと考えるようになり、学生時代のヘルニアと当時も腰痛だったこともあって整体という職業に興味を持ちました。そして一念発起して会社を退職して整体の専門学校に入学し治療家を目指すことにしました。もちろん収入が無くなり学費もかかるので生活の不安もありましたが、家族からの反対もなく逆に応援してもらえたので、一歩を踏み出せたと思います。
らくたす開業
これまでの人生において、習い事、塾、進学、就職など自分から「これをやりたい」と強く思って行動したことが無く、「言われたからやる」とか「周りがしているからやる」とか「何となく流れにまかせる」のような生き方をしてきました。
しかし今回は自分の意志で治療家を目指すことを決め、また必ず独立開業するという目標を掲げたので、専門学校の2年間や治療院での修行の6年間は辛い時期もありましたが、「自分が決めてやりたいことをやっている」と思うだけで不思議と乗り越えて来れました。
私の働いていた治療院は1日に数多くの患者様が来られるところで、様々な症状に対しての臨床経験を積むことはできましたが、患者様一人に対する時間が限られており、どうしても治療がメインになっていました。
私がやりたい整体院は、辛い症状を改善するのはもちろんですが、患者様としっかりと時間をかけて向き合えて、お悩みや愚痴を聞いたり何でも話せる居心地の良い整体院だとイメージできるようになり、2014年7月に与野本町で完全予約制でお一人様専用の当院を開業しました。
現在はたくさんの患者様の不調の改善、健康維持・増進、ストレス解消のお手伝いができて、本当にやりがいのある仕事に出会えたと思っています。今後も皆様に信頼に答えられるよう、技術の向上・サービスの向上に努めてまいります。
お電話ありがとうございます、
バランス整体らくたすでございます。